2024年理事長年頭所感

―福祉の語り部とならんー

 

 40周年の年がスタートしました。毎年1月はオリーブハウスが開所した月であるため、また一年歴史を刻んだのだと思うのですが、40年ということになると更に感慨もひとしおであると同時に、改めてその年月の重みを感じてしまいます。

 一方オリーブハウス、そしてその後のオリーブの樹(以下「オリーブ」と記す)の40年は、私の69年の人生の大半を占めるものであり、私の人生そのものであるとも言えます。オリーブの歴史の中で生じてきた様々な事象が私の人生史をも形作ってきたといっても過言ではないでしょう。このためオリーブの40年の歩みに思いを馳せていることは、自分のオリーブでの生き様を問う機会ともなり、同時にオリーブの中での今後の私の役割について、あれやこれやと考えてしまいます。今年で70歳ともなれば後何年現役で働けるかは分かりませんし、台頭する若手の事業家のようにIT社会に順応した斬新な事業の展開もできそうにもありません。そんなことから今後の自分のオリーブでの立ち位置や役割を思案していると、一番腑に落ちることとして浮かんできたのは「語り部」としての役割ではないかと思われました。以下そのことについて少し述べてみます。

 オリーブが始まった1984年から今日まで障害者福祉をめぐる状況は大きな変遷を遂げてきました。オリーブは、ある時はその変革の流れに乗り、またある時はその流れに抗って様々な事業や活動を行ってきました。もちろん当然のことながら制度の変革の中には納得できるものもありましたが、今でも疑問に感じることが多数あります。

言うまでもありませんが法や制度が創設あるいは改善されるには、その当時の社会背景や変革を必要とするニーズ、政治的な面を含めての運動等がありました。しかしながらそれらを受け制度が創設され進み始めると、それがあることが当たり前のことになっていき、その制度が創設された意義は風化し、過去のこととして葬り去られていきます。なぜその制度があるのか、そのことの本質的な意味合いを論議されることは無くなり、制度自体をどう使いこなすかが重要なこととなってしまい、時にはそれに翻弄されることになります。特に障害者自立支援法以降、障害者福祉事業が障害福祉サービス事業と名を変える中でその傾向はより顕著となってきました。実際、障害者に対する支援や実践は、障害者やその家族の本質的ニーズに依拠するのではなく、単なる障害福祉サービスの中にあるメニューやその枠組みに応じた施策で援助を提供するだけの手段となっています。更に言えば障害福祉サービスは、単に障害者に提供するサービスを事業者と利用者が売り買いするだけの商品と化しています。どのようなサービスなら高く売れるかそのことのみに事業者は強い関心を寄せ、その結果として3年ごとの報酬改定の内容に一喜一憂し、改定内容にいかに適応していくかに力を注ぐことになります。

またこのような中で、営利企業の福祉事業参入が一層拡大していますし、福祉事業を商業主義に立脚したビジネスと捉え全国的な展開を図る企業も出現しています。その制度が創られた時の障害者や障害福祉関係者の思いは置き去りにされ、障害者福祉や障害者支援の論議もまさに「木を見て森を見ず」となっており、利益を上げるための自分の都合の良いことだけを主張しあう薄っぺらな議論が幅を利かせています。障害者福祉の理念は商業主義に駆逐され、障害者は福祉の対象ではなく商取引の材料とさえなっているといっても過言ではないでしょう。以前からある「悪しきA型」と言われる就労系事業所の出現や今日社会問題化している「雇用代行ビジネス」はその最たるものといえるでしょう。そしてかく言う私自身もそのような商業主義で障害者の福祉を考える営利主義者への転向を余儀なくされ、商業主義を肯定する立場にともすれば与する側に身をおいてしまう可能性が強まっています。

 しかしながらこの福祉の商業主義化の中で本質的な問題は一向に解決できないまま、国や事業者のご都合に合わせたままの制度の改変だけが進んでいます。入所施設の解体論と施設存続の是非、工賃の違法性をめぐる問題(2007年神戸育成育成会作業所事件)、障害者自立支援法違憲訴訟原告団との合意(特に応益負担問題)・・・・等々はほんの一例ですが、本質的議論は全くされることがなく、矛盾を内包したままでの障害者福祉施策の変遷が見られます。商業主義化に対して障害者福祉をめぐる本質的なところでの議論が今こそ必要だと思われます。そのためには様々な事象やそこから生じた問題等を原体験した人間が、その時々の状況や人々の思いをしっかり伝え、それに依拠した議論や将来像を論じる場を作っていく必要があると考えられます。しかしながらそれは単なるノスタルジーや思い出話の共有であってはならないでしょう。その時を原体験した者として、その時代の真っただ中にいた者として次代の人たちがそれを正しく追体験できるように伝えていく必要が一方では求められると思います。

 歴史が進む中で過去の重大な出来事、例えば原爆の被害、東日本大震災での被災も風化の一途を辿っています。福祉の世界でもそれは同じです。私自身の小さな力で何が伝えきれるかは心もとないところはありますが、自分自身がこれ以上商業主義に陥ることがないように、また障害者福祉の原点に回帰できよう様々な機会の中で風化させてはいけない事象について語り伝える「語り部」になろうという思いにいたりました。その結果の中で少なくともオリーブではまさに「温故知新」を実現できたらと願います。

 

                          

2024年1月元旦

                             理事長  加藤 裕二

ヤマト福祉財団山内理事長から花束を受ける加藤理事長・啓子夫妻
ヤマト福祉財団山内理事長から花束を受ける加藤理事長・啓子夫妻